日記

新刊『こいわずらわしい』、発売されました。読んでいただいた方からの感想を眺めるのが楽しいです。ぜひ感想をつぶやいていただけると励みになります。
亜紀書房のWebでも、担当敏腕編集の田中さんが本のみどころを書いてくれました!
元になった連載から刊行までだいぶ間が空いてしまいました。試し読みとは別にテキストに興味を持ってもらえることを願って、本と関係あることやないことをもう少し頻繁にここに書くようにします。

本の中で、「恋愛は好事家のためのエクストリームスポーツ、くらいの位置づけになればいい」と書きました。「誰もが恋愛すべき、つがいになるべきというのは幻想である」というだけでなく、好事家にとっては底なし沼のような世界だなあという思いも含まれています。ここでは、好事家というのは「恋愛的な力関係に敏感な人」という意味で、わたしもそこに含まれています。
いろんな人の恋愛の話を聞いていると、「恋愛をはじめる能力」は個人差が大きいと感じます。仕事ができる人がいつも仕事のことを考えているように、恋愛体質の人は普通に生活していても、恋愛に割いている意識のリソースがたぶん高い。わたしが仕事ができない理由のひとつがいま明らかになった。
友人のひとりが「仕事でとっても怖い異性の先輩がいたんだけれど、ある日仕事の帰りに一緒にうどん屋に入ったら、その先輩がうどんを啜れなくて嚙んで食べていたんだよね。そのこちらの目を気にしてる感じを見て、ああこの人、たぶん押せば自分のこと好きになるし、そうなったら多分めちゃくちゃ優しくなるんだろうなと思った」と話していました。
これに反論する人はいくらでもいるのでしょうが、わたしはこの話を聞いて「特に好きでもない人との間に妙に可能性を見出してしまうこの感じ、すごく恋愛リソースが高い……!」と思いました。「笑顔で挨拶してくれたから俺のことが好き」とかじゃなくて、目のつけどころが細かい。
わたしはうどんでこういう気持ちになったことはないですが、何かの拍子に個人的確信を持ってしまう気持ちはわかります。もちろん完全にこっちの勘違いかもしれないし、そうだったらとんだ笑い種なのですが、こういう予感を裏取りしに行くことで恋愛がはじまる感じはわかる。

仕事ができないため、仕事中に関係ないことを考えてしまいがちなのですが、きょう仕事中に考えていたのは「猫岳の怪」についてです。
「猫岳の怪」は、猫がたくさん住む山の昔話です。阿蘇五岳のひとつ、根子岳に伝わるお話のようです。
旅人が山の中で道に迷って、やっと見つけた宿に泊めてもらう。なんだか宿の者たちの様子がおかしい。すると下働きのひとりが出てきて「ご主人、わたしはあなたにむかし飼われていた猫です。はやくここから逃げてください」と言う。ここは年を経た猫たちが集う化け猫のねぐらで、迷いこんだ人はこの宿でおふろに入ると猫にされてしまうのだ。
旅人は命からがら逃げ出すが、たくさんの猫が気づいて追いかけてくる。猫たちがひしゃくでお湯をかけてくるのをなんとか避け、夜明けを迎えて逃げのびるが、あとで見てみるとお湯がかかった部分には猫の毛が生えていたという。
この話、漫画や民話の本、「日本むかし話」でも見たことがあります。しかしどのバージョンでも不可解なのは、かつての飼い猫に会った旅人の反応がいまいち薄いことです。いなくなった猫に再会したら、いくら化け猫のねぐらであっても、そんなことどうでもよくなるくらい万感の思いがあふれると思う。
飼い猫に再会した上に「ここにいるとご主人も猫にされてしまいますよ」と言われたら、むしろ嬉しいと思う人は多いのではないか。少なくともわたしの姉は間違いなく「えっ、いいの?」って言う。「我々の業界ではご褒美です」と言うかもしれません。
これでは「猫岳の怪」ではなく「猫岳の快」になってしまう。そのようなことを考えていたので、今日も仕事ははかどりませんでした。

お知らせ

1月20日に新刊が出ます。
『こいわずらわしい』という恋愛コラム集で、前回の『メメントモリ・ジャーニー』と同じく、亜紀書房から出版されます。
亜紀書房 – こいわずらわしい
恋愛について疑問視・考察・反省・実践など、さまざまな立場から書いた23編のコラムが収録されています。
そして、歌人の穂村弘さんとの特別対談も!本文中に登場するご縁で、6年ぶりに再会してお話させていただきました。

亜紀書房のサイト「あき地」から、3回分の試し読みが可能です(第2回が穂村さんの登場回です)。

装丁は服部一成さん。「”恋患い”と"煩わしい"のダブルミーニングがわかるようにしてほしい」「明るくもないけど重たくもない、ひと味違った恋愛本という感じにしたいです」という謎の要求を完全に満たすデザインにしていただきました。
オンラインでは、亜紀書房のウェブショップ『あき地の本屋さん』、Amazonhontoなどの電子書店で購入可能です。
電子書籍も同日に発売されます。

・サイン本について
未来屋書店北戸田店さま・ジュンク堂池袋本店さま・三省堂池袋本店さま・丸善ジュンク堂渋谷店さま宛に、それぞれサイン本を作らせていただきました(店頭に並ぶタイミングはお店によって異なりますので、発売日以降に書店さんにお問い合わせください)。

この本の元になったのは、「ナポレオン」というWebメディアで2019年1月~6月にかけて週次で連載していた「蝙蝠はこっそり深く息を吸う」というコラムです。「ナポレオン」は残念ながら、現在閉鎖しています。
そのWebメディアのキャッチコピーが「一生モノのモテ理論」で、最初に聞いたときは「モ……?!」となりました。お声がけいただいた方々には「別にモテをテーマにしなくても、好きなことを書いて良いんです」と言っていただきましたが、せっかくなら"モテ"への違和感や恋愛への不信感も含めて、恋愛について真剣に考えて書いてみたい、と思い、いざ書きはじめると意外なほど楽しかったです。いろんな反応ももらえて楽しかったな。

ウェブ連載当時、友人でイラストレータの熊野友紀子さんに描いてもらったバナーイラストです。フカフカした動物に囲まれたいという普遍的な願望を絵で完全に叶えてもらいました。

発売記念のオンラインイベント等についても、後日お知らせできるかと思います。
虫の本や旅と死の本に続いて、恋愛の本も楽しんでいただければ嬉しいです。

お知らせ

前からウェブサイトが欲しいなと思っていたのだが、こんど出す本の告知時期が近づいているので一念発起した。9月の刊行予定でしたが、より良いものにするためにもうちょっと時間をかけることになりそう。出版社の方には迷惑をかけてしまいましたが楽しみです。

お知らせ等を流れにくい場所にまとめるだけでなく、また長文を書きたくなるような愛着を持てる場所にしたい。はてなで書いていた記事もどうするか迷ったけれど、2006年から書いているのも実際すごいな…と思ったのでとりあえず一括インポートして、見た目や辿りやすさの整理はこれから。昔書いたものは、あまりじっくり読むとぜんぶ消したくなるので薄目を開けて行うこと。

WordPressは噂通り初心者には難しく、この週末はSSL化やテーマの選定・記事のリダイレクト(これはややこしすぎて断念)などのために情報を漁っていた。その過程で、ブログやサイトで収益化を出したい人の多さを実感する。
いかがでしたかブログ(薄い情報を検索上位になるように並べて、最後は「いかがでしたか?」で締める、あの検索するときにめちゃくちゃ邪魔なやつ)が流行るわけだよ…と暗澹たる気持ちにもなった。しかし、とにかく発信しようとする人が増えたおかげでWordPressの細かい情報がネットに満ち溢れ、このわたしでもなんとかサイトを立ち上げられるようになったのだった。

普通にEnterを押して改行するとなんか意味ありげな空白が空きがちなブロック型の編集機能にも、すごく違和感がある。意味ありげで意味がない空白、正直頭が悪そうに見える。noteに手を出してみたときも、これがかなり苦痛だった。
読みやすさが何よりも重視されるインターネットで、これからも読みにくい文章を書き続けるぞ。

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はじめに

「住みたい街」というテーマでブログを書いてほしい、と依頼をいただきました。
まず、これまで住んできた街を振り返ってみます。わたしは大分県の別府市で生まれ、大学進学を機に東京で生活をはじめました。京都に少し住んだこともありますが、最終的に東京で就職。何度か引っ越しを重ね、東京近郊で暮らした総年数が大分で暮らした年数に迫りつつある頃、中国への出向に応募し、上海駐在となって2年強が経ちます。
とはいえ出向なので、数年で東京に戻る予定。出向前に買ったマンションにも愛着があるので賃貸にも出さず、現在は一時帰国のときの飲み会などで活用している、という状況です。

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通称「メレヤマンション」。手前に写っているのは、ガーナで作った自分のための装飾棺桶。家や棺桶づくりの経緯は、著書『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)をお読みください……

すごい勢いで都市化が進む上海は面白く、移動や買い物が順調にスマートにできるようになったり、お気に入りのレストランや雑貨屋を見つけたり、知らない場所になじんでいくプロセス自体は楽しめるようになった気がします。ただ「住みたい街」とはちょっと違います(たとえば中国なら、路上にローカルな賑わいのある四川省成都市や、少数民族の文化や珍しい生きものを目にできそうな雲南省のほうが好み)。
海外・国内問わず旅行が好きなのですが、最近までどんなにきれいなところに行っても「ここに住みたい!」となったこともありませんでした。わたしが地方出身なことと無関係ではないのですが、地縁やしがらみをできるだけ避けたい気持ちもあります。
今後も当分は東京を精神的な基点とする中、わたしがほかの街に住みたいという気持ちを持つには、たぶんいい街なだけでなく、大好きな「生きもの」を軸にしたプラスアルファの「必然性」が必要なのです。そこで、ここでは最近「必然性」を感じ、気になっている街をふたつ挙げます。

住みたい街その①:三崎口 ―― 友人と趣味を活かすための基地「磯の家」が欲しい

わたしの趣味は生きもの好きの友人と、フィールドに虫や生きものや化石・鉱物などを探しに行くことです。

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生きもの友達と行った沖縄・古宇利島のハゼ。気が遠くなるほどかわいいですね

最近は特に、磯でのシュノーケリングのほか、タイドプール(※干潮時の磯にできる天然の生け簀的なやつ)での生きもの観察にはまっています。数人でヤドカリや魚を観察し、口々にほめそやしつつ写真を撮って海に戻すだけですが、これが異常なまでに楽しく、すさまじいリフレッシュ効果がある。いや、磯友たちが「磯……磯に行きたい……」「昨日行ったのに磯成分が不足してきた」「磯が来い」とギィギィ鳴いているのを見るに、あれは中毒とか依存かもしれない。
しかし、良いフィールドは車が必要な場所が多く、着替えやタオル、撮影道具などの荷物も多い。車を扱える友人に負荷が集中するのも悩みです。十年来のペーパードライバーであるわたしが運転できればいいのですが、複数の命が危険に晒される……。
そこで「都心から公共交通機関でアクセスしやすく、かつ良い磯」という条件で探してみたところ発見したのが、神奈川県・三浦半島の三崎エリアです(こういう場所もありますよ、というのがあればこっそり教えてください)。

f:id:blog-media:20191028120645j:plain三崎の海岸でビーチコーミングしたときの様子。生きものオタクは何人いてもなぜかソロ感が出る

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海藻にくっついていたというミヤコウミウシ

 たとえば三浦半島の西南端にある城ケ島であれば、まぐろで有名な京急三崎口駅からバスで35分。新宿からだと2時間ちょっとでしょうか。磯友に聞くかぎり、アシカやカワウソの展示も充実している水族館・油壷マリンパークがある京急油壺にも、良い磯があるとか。ここなら帰りにホテル京急油壺 観潮荘のお風呂に寄って一杯やれそうなのもいい。基本的に海で遊ぶことと酒を飲むことしか考えていない。
観察のみとなりますが、70ヘクタールもの広大な自然公園である「小網代の森」の干潟で遊ぶのも楽しいですね(※2019年11月1日現在、台風の影響で一部立ち入りが制限されています。詳しくは公式サイトをご覧ください)。

そこで、これらのフィールドへの玄関口となる三崎口あたりに、生きもの好きの基地として「磯の家」を作れないか、と最近考えています。ネーミングは、「海の家」のキラキラ感に若干対抗している。引っ越しても通勤はなんとかなりそうだけど、できれば週末に帰る家として、磯友達とシェアしつつ利用できれば最高です。
東京にしか拠点がないと、休日海に入ってから都内に戻り、この海上がりのパサついた顔と大荷物で飲み屋を探すのはちょっときついな……となりますが、「磯の家」があればシャワーを浴びて洗濯しながら飲んだくれることもできる。かさばる海道具をまとめて置いておき、磯仲間と共同利用できれば便利だし……。
何より「いつでも磯に行ける」と思うことで、心の安定がもたらされるに違いない。職場で多少の理不尽に遭っても「でも、わたしは退社後に磯の家でビールを飲んで、週末はウミウシと戯れたりタカラガイを拾ったりできる……この人にはマイ磯がないから、わたしに当たるのもしかたがない……」と、謎の磯から目線を発揮できるようになるわけです。
磯中毒者のQOLにとっては「職住近接」ならぬ「磯住近接」もまた重要。ウェットスーツで潜ってのウミウシ観察や浜辺に打ち上げられた漂流物を観察・収集するビーチコーミングは冬が本番とも聞きますし、季節を問わず海を楽しむ方法も学んでいきたい。

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青山メインランドのオウンドメディア「ナポレオン」さんで連載「蝙蝠はこっそり深く息を吸う」がはじまりました。
ナポレオン「一生モノのモテ理論」
週1回、木曜更新です。
蝙蝠はこっそり深く息を吸う | ナポレオン
モテに関するサイトといっても編集方針はかなり自由なので、別に毎回モテや恋愛について書く必要はないのですが、書いたことがないものに挑戦してみたいので意地でも恋愛について書いています。今のところ、意外なくらい楽しく書けている。

今までに書いた記事です。

  • 第一回「森に行きたい」:恋愛はたまに死人が出るエクストリームスポーツなのではないか、という話です。

新連載 蝙蝠はこっそり深く息を吸う 第一回 「森に行きたい」 | ナポレオン

  • 第二回「21文字でダメだった」:文筆業界最高レベルにモテると思われる歌人の穂村弘さんにお会いしてまんまとポーッとなり、友達に「チョロ山チョロ子」という蔑称で呼ばれるようになった話です。

蝙蝠はこっそり深く息を吸う 第二回 「21文字でダメだった」 | ナポレオン

  • 第三回「恋のうわさソムリエ」:恋バナが好きなのに会社で収集できる恋バナはえぐみが強くて悲しい、という話です。

蝙蝠はこっそり深く息を吸う 第三回「恋のうわさソムリエ」 | ナポレオン

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10/6(土)7(日)の昆虫大学2018を終えて上海に帰ってきました。
www.konchuuniv.com

国慶節の休みで直前の一週間を丸ごと準備に使えるし、いけるやろ…と踏んでいたが最後はやっぱりヘロヘロだった。

昆虫大学はこれまで3回やっているけれど、なんだか今回は特別だったような気がして、まだ夢の中にいるような気持ち。帰りの飛行機の中でも時間の感覚がおかしくなってそわそわして、この飛行機はほんとうに上海に着くのだろうか、よくある夢みたいに現実感がないままどこかへさまよい続けるのではないか、と不安になった。
単に来場者数が2157名(再入場者数を含みません)と大きくジャンプアップしたというだけではなくて、
・ただでさえ土壇場にならないと力が出ない学長が中国にいる
・そのため、今まではほとんど組織化していなかった(学長・工作大臣・デザイン大臣の3人だった)運営をチーム化して、できることはなるべく手分けして動いた
・これまでの集大成として分厚すぎる同人誌「昆虫大学シラバス」を編集してイベントで初売り
など、はじめての挑戦ばかりだ。どれひとつとっても課題が大きすぎる。
昆虫大学は昆虫の良いところを同好の士と共有する趣旨のイベントなのだが、今回は本当にスタッフ・出展者・来場者のすべてから、人間の良いところを見せてもらいすぎてくらくらしている。関係者も総勢2200人がみんなで好きなものの話をして、混雑時にもおたがい楽しめるように譲りあって、想定外のトラブルにも精一杯の対応をしてくれていたということになる。書きたいエピソードばかりなのに考えがまとまらない。
書くとすれば運営のことだろうか。わたしは思いつきで暴走するわりには雑で詰めが甘いので、忙しくなってくると「まあこんなもんでいいか」と端折ってしまうところがあるのだが、今回はそれを運営スタッフがひとつひとつ正してくれた。
来場者数が多すぎてチケットが足りない!となって、もうとりあえず他と識別できる小さな紙ならいいよ、人手足りないし、とわたしは言ったが、当日スタッフの美大生たちが「こういうのは思い出に残るものだから、少しでもいいものにしないと」と楽屋で超スピードの仕込みをはじめて、レアな絵柄を混ぜたりして遊び心まであるかわいいチケットにしてくれた。
(昆虫大学そのものの取材ではないのだが)(だからこそ厄介でもある)会場にテレビのクルーが来てちょっとした面倒が発生したときも、「テレビの人がしょうもないのは毎度のことだし」と諦めそうになったわたしを工作大臣が止めて、言うべきことはきっちり言っていた。ほかのスタッフも、お客さんからよく出る質問にはすぐに掲示を追加したり、混んでいる場所を見つけて動線を変えたりという工夫を情報共有しながらやってくれた。来た人が楽しめたとすれば、それは「基本的には学長の好きにさせてやるけど、自分の持ち場で妥協はしないよ?」という最強の人たちが、空間のすみずみまでビッと気合いを入れてくれたからだ。

あんまり関係ないけど、この動画を思い出した(見ると泣くのであまり見ないようにしている)。
youtu.be
日常はいいことばかりではないし他人とも分かり合えないことの方が圧倒的に多いけれど、それでもたまにめちゃくちゃ心が通じた気がしてしまうときがある。それが思いこみや錯覚だとしても、わたしが今生きていくにはそんな錯覚がちょいちょい必要だな、と思う。大分には九州新幹線通ってないけどな!

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クーラーの効きすぎたオフィスや家にいると体が冷えるので、家の近所を夕方から夜にかけて散歩することがある。上海の街はどこもかしこも開発されまくっていて、ビルとか夜景とか正直いってぜんぜん好みじゃないけれど、川が多いのはいいと思う。夕暮れだけは上海も悪くない。そこら中を意識の高い上海人ランナーが走っているので、暗くなっても歩いていて怖くないのがいい。
むわっとする空気の中、川沿いの道を音楽を聴きながら歩いていたら、いま周りにいる人たちみんな言葉が通じないんだな、なんて気楽なんだろうという気持ちになってくる。寂しい気持ちもあるけれど、日本にいるときだって基本的には寂しかったわけだし、誰といても寂しいんだろうから次はまたどこに行ってもいいんだと想像する。
むかし中島らもか何かの本で「トンカチで頭をたたき続ける人生」というのを読んだことがある。トンカチで自分の頭をゆるく一定のリズムで殴り続けると、当然けっこう痛い。でも手をつかの間止めると、ジーンとなってちょっと気持ちいい。そのちょっとした気持ちよさを求めて、ずっと頭をトンカチで殴り続ける……というような話だった。
会社で働いたり、そのかたわらでいろいろ活動しているのも、トンカチで頭を殴り続けているのと何か違うんだろうか。生きていくためにやっていることだけじゃなくて、自分から望んだ楽しいはずのことも、いざ手をつけてみると9割は苦しい。1割が純粋に楽しければ御の字だ。降り下ろしたトンカチからたまに散る火花やオパールのきらきらした断面や見たことない色の内臓を眺めて、たまに感心したり喜んだりしながらだんだん死んでいくんだろうなー、と思いながら、空がはじから紺色になっていくのにまだ家に帰りたくないので少し困っている。

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2年に一度やっている昆虫大学というイベントの準備で忙しい。本当はもっと前から忙しかったはずなのだが、一時期はよくわからないくらい精神的に低迷していてぜんぜん動けず、一緒にやるために集まってくれた人たちに気を揉ませてしまった。今は「中の人が変わったのではないか」と言われる程度にはなんとか動けている。あと2か月強、このテンションでやっていく道しか残されていない。
いろんな人にお願いしたりされたり、持ちかけたことに対してそれを上回るアイデアを出されたりみるみる形になっていくのを見ていると、もう何も食べなくていいし眠らなくてもいいやといった気持ちになる。気持ちの上下動が多すぎて正直疲れるので、ネットのメンタルヘルス診断みたいなのをちょっとやってみたのだが「落ち着かないことがありますか」→よくある といったクソの役にも立ちそうにない設問に答えていくうちに「いやいやいや、心が震えずして何が人間か!ワイは間違ってない!!」と開き直って終了した。
インターネットでできた友達と会っていると、それぞれ程度の差はあるが、お互い自分の精神を持て余しますよねーという前提で話ができるのがとにかく楽だ。

東京の家にいたとき育てていたサボテンやエアプランツはすべて、上海に来るときに人に預けてしまったのだが、上海でも花市場に通ったり通販で購入したりして、だんだん鉢が増えてきた。しかしいちばん場所を取っているのは、入居時からなぜか部屋にあるモンステラだ。切れこみの入った葉が鉢から横に投げ出されるように伸びてきて、ちょっと鬱陶しい。なんとなくハワイ感があって自分では買わないタイプの植物だが、中国に来てすぐの頃はこれが唯一の友達的な精神状態だったことを思うと、お引き取り願うのも気が引ける。「体だけの関係」とか「腐れ縁」とかの単語が胸に浮かぶ。植物にしてみればわたしとの関係はぜんぶ「水だけの関係」なんだけど。
「原稿だけの関係」というのもある。依頼するほうもされるほうもあるが、たとえば依頼されるほうだと「○○みたいな文章を」だとまあ頑張りますみたいな感じで、「今まではちょっと違ったこういうものを書いてほしい」とか言われるとテンションとしては告白されたに等しく、好意を知覚する繊毛がめちゃくちゃサワサワする。
お仕事なのであえてそこをくすぐっている編集者さんも当然いるだろうけれど、赤の他人に「普段やってないことをやってみてほしい、あなたにはそれができると思うし見てみたい」っていうのは、つまりめっちゃ好きってことだと思う。少なくとも、わたしがイベントに協力してくれる人に原稿なり展示なり販売なりをお願いするときはそういう気持ちでやっています。
こんなに自分の中に他人への好意が眠っていたのか……と自覚できるので、こういうイベントをやるのは本当に楽しい。人として生き直している感じがする。ここまで重たい「だけ」があるだろうか。

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仕事で中国に来ているというと「大変そう……」という反応をされることが多いですが、いちおう社内で中国駐在の公募が出たときに自ら応募しているんですよ。報知のメールについていた「応募する」ボタンを、2時間くらい考えてポチッと押した。
当時のボスにも半年くらい前から「今の仕事はもう入社してから8年くらいやってるし、中国にも出張で何度も来てこっちの社員とのコミュニケーション取れてきたし、海外で働くことに興味がある。公募が出たら応募しようと思います」と話していて、ボスも応援してくれていました。出張中なのにわざわざ電話をかけてきてくれて「例の公募だけど、押した?いや、押していいんだよって言おうと思って。押したんだね!オッケー!よい週末を!(金曜日の夕方だった)」と言ってたのを覚えている。いい上司だなあ。
そんなわけで行くための土壌は整っていたし、あくまで期間のある出向なので現地採用とかに比べたらそこまで勇気がいる判断ではないはずだけど、就業ビザがなかなか下りず(本社での仕事との間に見た目上の連続性がないとかなんとか)、赴任まではずいぶん時間がかかった。
赴任までと赴任後の数か月、いやつい最近まで、ずっと緊張していたような気がする……。ボタンを押す瞬間はむしろ何も考えていないに等しく、「細かいことは押してから考えよう」くらいの気持ちだったので、押してから赴任までの期間が長いのはつらかった。根暗の考え、首を絞めるに似たり。

この前、中国でできた日本人の友達から「紹介したい男性がいるんだけど、自立した人が好きなんだって!メレ山さんはひとりで海外に来ちゃうくらい自立心があるでしょう?」と言われた。できれば自立してないよりは自立していたいとは常に思っているけど、はたして自立しているんだろうか……自問自答の結果出した答えは「水面をじっと見続けた結果水に落ちているだけ」だった。
目の前に穏やかな緑色の水面があって、堤防から身を乗り出して見ているとだんだん水面のことしか考えられなくなって、もう水に落ちるしかないような気持ちになってくる。ピラニアがいるんじゃないかとか足が立つかどうかとか、検討事項はいろいろあったような気がするけど、それ以上考えるのが面倒になってより過激な選択をしてしまうことが多いし、そういう時ってなんか「生きてる」って感じがする。でも「生きてる」って感じるときって、総じてわりと死に近いよね。ビビりのくせに怖がりたがりなので、自分に小さなチキンレースを仕掛けているうちにいつかポロッと死んでしまうのかもしれない。紹介ですか?数人で楽しくカラオケして何事もなく帰りました!

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「主人がオオアリクイに殺されて~」みたいなタイトルになってしまいましたが、2017年の7月24日に上海に赴任し、ちょうど1年が経ちました。
いろいろな経緯があって予定とはぜんぜん別の仕事を中国でやることになり、動悸がして眠れない夜もありましたが少しずつ慣れてきて今に至ります。せっかく海外で暮らしているのに、中国国内の写真を撮って公開できないのが残念です(邦人のスパイ容疑による拘束事件などもあり、会社の方針で不用意な写真撮影が禁止されてます)。
正直文章どころじゃねえ的な気持ちで果てしなく何かを書くことから遠ざかっていたのですが、つい先日夏休みで日本に一時帰国し、数か月前に帰国したときよりも自分の調子がだいぶ戻ってきていることを感じました。また、自分が繋がっていたいと思える人たちと繋がっているためには、曲がりなりにも何かを書き続けていることが今はいちばん重要だな、と強く実感した次第です。
中国に来る前に日記を書こうと準備していたウェブサービスは金盾によって軒並み規制されており、いちばん気軽に書けるのはなんと古巣の「はてな」だった。「はてな」はいいんかい、中国政府。と遅ればせながら気づいたので、すこし頻度を上げてここで書いてみたいと思います。昔のようなテンションの高い長文旅行記や万人に読まれることを強く意識したものは、もう書かないだろうけれど。デザインももっと日記的なボソボソとした文章に適したものに変えてみました。

Webちくまの書評コーナーに、最近読んだ3冊について書かせてもらいました。二村淳子編『常玉 モンパルナスの華人画家』津村記久子『これからお祈りにいきます』マイケル・ボンド『くまのパディントン』の3冊です。津村記久子さんは本当にいいですね、わたしが小説を書けたらこんなのが書きたい……。
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